『戦乱の世の盲愛 -光りある未来へ-』ショートストーリー
※2021年10月14日までの期間限定公開
※DLsiteがるまに・ポケドラR特典と同一内容となります。
「蕾はやがて」
著・堀川ごぼこ
慧馬は己の腕の中でぐっすり眠る姫を眺めていた。慧馬が与えた快楽によって流れた涙の跡が頬に残っている。慧馬の術で寝息は安らかなものとなっていたが、姫に刻まれた悲しみと苦痛の跡は、快楽の涙で消え失せはしなかった。
「何故、俺は此の様なことを……」
任務第一。いつもの慧馬であれば、どれだけ嘆き悲しまれようが、慰めようなどとは思わない。幼い頃に故郷より出され、見知らぬ敵国に輿入れさせられ、いざ戦となれば真っ先に狙われる。確かに彼女は悲惨な境遇であろう。が、それでも天下人に最も近い佐南重房の愛娘として生を受けたのだ。民草のように食うに困ることもない。粗末な襤褸切れを身に纏わねばならぬこともない。恵まれた存在であろう。
特別な情けをかけてやるような女性ではない。
慧馬はただ、生きた彼女を主君佐南重房が待つ城に届ければいい。それが彼の受けた『密命』である。彼女が身も心も元気であるに越したことはないが、『悲しみも癒せ』とまでは命じられていないのだ。
それなのに、慧馬は彼女を慰めてやりたくなった。少しでも生きる力を与えてやりたくなった。愛撫を施し、無残な記憶を消し、心の中を真白にして、己の精を分け与えてやりたくなった。
「何故……」
姫は、夫である北川頼明の命で、磔にされようとしていた。そもそも姫は『敵国の女』と夫やその家臣らに蔑まれ、辛い思いをしてきた。だがそんな身の上を、自ら父親に訴えることは決してしなかったと聞く。そして最後の最後まで、佐南と北川との和平の道を探り、書状をしたため、佐南の武将に届けさせたという。
『輿入れしたからには、己は北川の女』そんな芯の強さ故、幾度となく姫は自害を試みては、慧馬に阻まれた。この小さく細い身体の何処に、そのような強さがあるのだろう? 『武家の女として』などといわれても、いざとなれば命が惜しくなるのが殆ど、ましてや慧馬という助けが来たのである。それなのに姫は毅然と北川城と運命を共にしようとした。
否、その強さはわかる。戦乱の世の武家に生きる者として理解できた。が、姫はその強さを見せながら、『優しくしてくれた』という腰元の命を惜しみ、助けよと懇願してきた。使用人なぞ使い捨ての屑同然。上に立つ者の多くがそのような考えをしている中、彼女は腰元の命を己の命よりも大切に思っているようだった。
「強さと優しさが、この身体の中で綯い交ぜになっているのか……」
姫の身体には、決して消えることはないであろう無残な傷跡が残っていた。夫に苛まれた跡であることは明白だった。慧馬の身体中に、感じたことのない熱さが巡る。
「俺は何もしてやれんのか……」
野月の忍びの里に生まれ、幼い頃から徹底的に忍術を叩き込まれた慧馬は、その才能を主君重房にも早いうちに認められ、数々の困難な密命をこなしてきた。命が危険に晒されることもよくあった。故に、己にできないことなぞないと思っていた。
けれど、この小さな身体に、大したことはしてやれない。悲惨な記憶も傷跡も消せず、密命故とはいえ姫が慕う腰元も助けてやれなかった。慧馬は生まれて初めて、己は無力であると思った。先程の睦み合いで、ほんの刹那、心の内を空っぽにはできたであろうが、それだけだと思った。
「消せぬのなら、せめて……」
佐南の城への旅は、まだ幾日か続く。
道中、少しでも綺麗なものを見せてはどうだろう?
旨いものを食べさせ、何か楽しいことをさせて、少しでも良い記憶で辛い記憶を上塗りできぬものか。そう、俺のことで心の内をいっぱいにさせて、何もかも忘れさせて、俺と――。
「――何故、俺はこんなことを」
慧馬はひとりごちた。
「俺と?」
その後、何を考えようとしたのか。まさか姫を己に?
「馬鹿馬鹿しい……」
城に戻り、しばしの休息は与えられようが、恐らく姫はまたどこぞの武将に与えられる。此度の戦で戦果を挙げた者の褒美になるのかもしれない。そこまで考えると、無性に慧馬は寂しくなった。
「どうしてしまったんだ、俺は……」
己の心の内がわからない。姫を見ていると押し寄せてくる波の名前を知らない。
慧馬の腕が姫の身体を抱く。掌が姫の髪を撫で、唇が額に押し付けられる。こうしようと考えもしないのに、彼の身体は自然そう動いた。そして姫の身体に再び慧馬の体温が移ると、彼は何故か嬉しくなった。また抱きたい。睦み合い、姫の身体中に接吻し、優しく撫で、奥底に精を放ちたい――。そう思ったが、この眠りを妨げたくはなかった。
「道中、答えがわかるだろうか……」
初めて感じたこの想い。その答えを姫が教えてくれるような気がした。何故かわからなかったが、そう思った。こうして抱き締めてやりたくて堪らなくなる理由も。
明日、少しでも生きる力が戻っているといい。姫の笑った顔が見たいと思った。生来芯が強いのであろう姫の笑顔はきっと、大輪の芍薬のように美しく見えるのでは――
其処で慧馬は眠りに落ちた。姫の温もりを心の奥底に迄感じながら。
〈了〉
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